令和二年 魚吹八幡神社武神祭 (輪番村:和久)(境内での奉納演芸は取り止めとなり、鬼舞の時間が繰り上がります。)
令和二年は、和久自治会 。令和2年3月28日(土)
和久自治会の皆さん、よろしくお願いいたします。
(雨天の場合 29日(日)順延 )
令和二年 武神祭は、内容を変更し執り行います。
新型コロナウイルス感染症の流行が拡大している状況を受け、参加者および関係者の健康と安全を最優先に考慮し、行事内容を変更し執り行います。
・境内での「奉納演芸」は、取り止めといたします。
・餅撒きは、「餅頒布」といたします。
・時間帯も以下のとおり変更となります。
スケジュール
11:00頃 献納
11:30頃 神事
13:30頃 鬼舞(境内奉納演芸は取り止めとなり、時間が繰り上がります。)
14:30頃 餅頒布(「餅まき」ではなく、「餅頒布」といたします。)
武神祭の由来
天平宝字八年甲辰三月七日、支那福州の賊軍が、播磨国揖保郡福井庄家島に攻めてきたので、朝廷(47代淳仁天皇)は、播磨国の国司、太田庄住人冶部郷、藤原朝富臣貞国に討伐の命令を出された。これを受けた貞国は、当社(魚吹八幡神社)に詣で、勝利の祈願をして家島に向かい勝利する。
このおり、祈願は七日間行われた。
これは、瑞垣の内に祭壇を設けて五色の和幣(にぎみてぐら)をたて、剣、弓、矢を飾り勝利を祈ったところ、最後の日に境内がゆり動き、巽(北西)方向から霊雲が起こり五色のに和幣が、五色の鬼となって南の敵船に向かった。(その後陰陽の鬼面が残っていたので、これを当神社の神宝とした。)
この時、大風が吹いて、賊船を七百三十二隻沈没させ、大いに勝利する。帝は喜ばれ、貞国に播磨五郡を与えられる。
貞国は、祈願成就の礼として三千石を当社に奉納した。
翌、天平神護元年春三月七日、この縁により初めて「鬼神祭」を行った。
と神様が鬼に姿を変えて戦ったという当社に伝わる故事に由来したお祭で、
武神祭の鬼は『武神』という名のとおり、『鬼の姿をした人々を守る神様』です。
武神祭の鬼は『武神』という名のとおり、『鬼の姿をした人々を守る神様』です。
姫路市無形民俗重要文化財(平成十八年三月二十四日指定)