屋台(やったい)

魚吹の屋台は、18台。
魚吹の屋台の特徴は、その全体像の美しさです。
重厚な漆屋根に、細部までこだわった彫刻、隅絞りや伊達綱の豪華さ、幕の刺繍も各町のこだわりの図柄を用いています。
「チョーサ」の掛け声と共に宙に浮く屋台。
重いはずの屋台が宙に浮き、そのギャップが見る人を魅了します。
乗り子は小学生の男子が勤め、力強い太鼓と声で、屋台を導きます。

(令和元年 10月 秋季例祭前に各町の記載事項の更新を行いました。)

旭陽地区

happi_itoi 糸井 Itoi

itoi 

糸井はJR網干駅の西北に位置し、網干と龍野を結ぶ街道の中間にあり、魚吹八幡神社から最も北に位置しております。
明治32年建造の糸井屋台は柱心が2尺8寸、水切り幅が6尺1寸あり、屋根が浅く、江戸時代後期の神輿屋台の屋根の原形を色濃く今に残しております。
屋根の下の狭間の彫刻は、飾磨彫刻師・初代松本義廣の手による作品で、なかでも正面狭間(さま)の薩摩征伐の時の加藤清正と新納忠元の一騎打ちの場面は、播州では糸井屋台でしか見ることが出来ない場面です。
屋台の飾り金具は、姫路市俵町・下間清平の手による箱物で、金と銀が品良く配置され、一層の風格と優雅さを備えています。
糸井屋台は、糸井町民の出来るだけ古い形と伝統を残し、将来守り続けたいという強い意志を結集し、平成10年、建造100周年の大修理の際にも屋根の形は変えずに、浅いままでの修理を行いました。
令和元年、総メッキを施し一層美しくなってまいりました。

happi_takata 高田 Takata

takata 

髙田の屋台は魚吹18ヶ村の屋台の中では最も古く、明治29年に村の棟梁、 前田・熊次郎氏により新造されました。
棟が浅く江戸時代後期の古き良き風格を持ち合わせた屋根が髙田屋台の特徴といえます。
その後何度かの改修を施し、現在の屋根は平成13年に浅棟の伝統を守り、村の棟梁、前田・昌克氏により製作されました。平成15年には漆を塗り、平成の髙田屋台大修復が完了しました。
狭間、高欄下の腰組み彫刻は飾磨彫刻師、松本・長五郎の作で、初代松本・義廣を名乗る前に手掛けた貴重な作品であり、狭間正面は魚吹八幡神社の主祭神である神功皇后が、同じく主祭神である応神天皇をお産にみなられた時の場面をあらわした「神功皇后、応神天皇平産す」となっています。
露盤から高欄地金の飾り金物は今では希少となった屋号カナセこと下間・清平の作であり、新造当時としては彫刻製より高価であった金物製の露盤を現在も受け継いでいます。そのうっとりする様な粋で繊細な飾り金物は、近年製作の屋台には見られない芸術作と言えます。
また、古い形式の網干屋台特有の水繰りを施した高欄など随所に新造当時の名残を残しています。

平成25年には、水引幕を新調しました。髙田町内に鎮座する武大神社に云われがある、須戔鳴尊の八岐大蛇退治を題材とした自慢の水引幕には、髙田町民全員の祭りへの熱い思いが込められています。
令和元年、隅絞りを新調しました。生地は京都西陣織の正絹を使用し、紺の下地に金の鳳凰をあつらえた模様は髙田町民の祭りへの冷静さと情熱を表現しています。

それともう1つ、幕末、慶應4年に製作された髙田自慢の鏡面2尺9寸以上もある大太鼓は文化財ともいえる逸品です。魚吹一番の大太鼓を収める為に、乗り子の座席はえぐられ、全体のバランスを保つ為に屋台では珍しく四本柱に四方転びの技法を取りいれ、さらに泥台の抜きも曲げられています。その腹の底から響く、威風堂々とした独特の重低音の響きを十分にご堪能下さい。
ヤ―という掛け声のみでチョーサを差し上げる伝統の掛け声は、より一層に静と動を際立たせ、華麗に高く舞い上がった屋台は一瞬空中で静止する。
チョーサの美しさはまさに髙田ならではのものです。
古き良き風格を兼ね備えた屋台と、伝統を誇る髙田若中の心意気を十分にご堪能下さい。

happi_waku 和久 Waku

waku 

和久の屋台は、和久町と駅前町の二町からなる自治会で運営されており、年に一度の祭りには、二町が力を合わせ、いちがんとなり屋台をかついでおります。
和久の屋台は平成19年、85年ぶりに四本柱から上を、和久村の大工である小林規之(ただゆき)氏の手により新しく製作され、和久屋台の特徴である深みのあるバランスの取れた大屋根を再現した新生和久屋台が完成しました。
平成22年に網干の彫師 前田氏により新調された露盤(ろばん)は、平成29年、御津の塗師 山口氏により漆塗り、彩色されました。地元播州の名工の手によって完成した露盤にどうぞご注目下さい。
屋台の担ぎ方は、伊勢講(いせこう)時代から長い年月受け継がれ、静と動のバランスのとれた美しいチョーサが和久屋台の特徴です。
チョーサの時には、四人の棒端の合図と太鼓の音のみで全員が一体となり、太鼓の打ち出しと共に、50メートルあまりを一直線に走り、静止するや、いなや、太鼓に合わせて屋台を一度腰の高さまで下げた後、一気に頭上に差し上げます。
又、足は広くわり、担き棒は必ず右腕上腕部で受け止めて真上に跳ね上げ、その担き棒を見上げる姿勢の美しさに特にご注目下さい。
変わらず受け継いできた伝統、その伝統に誇りをもった和久の技をどうぞご覧ください。

 

happi_fukui 福井 Fukui

fukui 

福井の現在の屋台は、昭和3年から4年にかけて前田熊次郎大工の苦心の作によるもので、黒檀・欅を使った重厚にして均整のとれた、ひとまわり大きな屋台であります。
以降この屋台は長い間白木のままでしたが、昭和49年の大改修の際に漆を塗り、また平成2年には棟を新調するとともに胴回りを改修し、大太鼓を納めました。
露盤、狭間、腰組み等の彫り物には色鮮やかな彩色を施し、金、銀の錺金具の装飾は、繊細な細工を施した、美しいものになっています。
以前にもまして、一段と響く太鼓と威勢の良い掛け声を合図に、重量感あふれる屋台の一糸乱れぬ見事なチョーサをご覧ください。

happi_sakade 坂出 Sakade

sakade 

江戸時代の『八幡宮神事行事定書』に、坂の上出屋敷の名が、他の部落と並んで名を連ねており、古くから一つの村であった事がわかります。今では、このような村の歴史を知る人も少なくなってしまいました。
明治初期以前には、戸数もわずか40件の小さな集落でしたが、現在では300戸数を超えるまでに発展し、また、青年団、兄若衆の若手が中心となり準備・運営を行ってきましたが、担手を離れた壮年層を中心とした坂龍会が発足し、若手に負けじと頑張っています。みんなで祭りを楽しみ、盛り上げる事で時代を超えた繋がり、コミュニケーションをはかれるようになってまいりました。
また屋台は、平成9年に新調されました。
その大きな特徴として、屋台全体は、現在屋台製作の名工、小林秋男氏の手により四本柱、泥台等の構造材はケヤキを使用し、屋根をはじめ昇り総才その他は、尾州檜を使用しております。彫刻は独自の技法をもってする大西一生氏の作品です。
平成28年には担棒と隅絞りを新調しました。
坂出町一体となった屋台練ねりをご覧ください。

happi_tsuhoku 津市場北 Tsuichiba-Kita

津市場北_平成30年 津市場北_平成27年

(漆屋根は平成30年秋季例祭、白木屋根は平成27年秋季例祭当時)

津市場北はその昔、『津市場出屋敷』と呼ばれていました。昭和41年自治会が独立し、現在160戸余の村になっております。
津市場は古代より揖保川の河口に拓けた村で、津市場あたりを魚吹津(宇須伎津)と呼び、その名は播磨国風土記にも記されています。魚吹八幡神社のお旅所である『西の馬場』が津市場にあるのが何よりの証で、祭の中心所と言われる所以でもあります。このお旅所を地元の人は『宮の馬場』と呼び、幼い頃より慣れ親しんでおります。
江戸時代には四国丸亀藩京極家の所領で、町内には琴平神社があり、町民からは金刀比羅様と呼ばれています。

昭和8年に坂上の大工、三輪・亀吉氏によって製作された津市場北の『やったい』は平成26年(81年ぶり)に屋根を新調し、伊達綱から隅絞りに変えるなど大改修を行い、平成30年に漆塗り、全ての錺金具(かざりかなぐ)の取り付けがされ、改修が完了いたしました。
屋根は朝日谷の建築工房ヨネダ、正隅彫刻は大木彫刻店、錺金具は竹内錺金具店、隅絞りは川村刺繍により、漆塗りは砂川仏檀店により完成されました。

町民から愛着のあった先代屋台の形と同じように作られた、深みのある美しい屋根、そして、昭和8年当初の姿を元に、
より力強く再現した隅絞り、この伝統を継承した美しい津市場北「やったい」になっております。

『やったい練り』の特徴は、昔から伝わる「ヨーイサージャー」「ヨーイサージャー」という掛け声で、がぶりながら練るのが特徴です。

80年の時を超え伝統を繋いできた、津市場北の勢いのある美しい「やったい練り」をどうぞご覧ください。

happi_tsuichiba 津市場 Tsuichiba

tsuichiba 

津市場はその昔、揖保川の河口に位置し、津の宮の門前市として拓けてきたとも言われています。揖保川から途中数本の川に分かれて、その内の津市場内を西から東に流れている、北から『五位瀬川』、中央を『長池』、南に『前潟』と三本の主な川の流れにより津市場が形成されたとも伝わっています。
三本の川が横に並んでいる様から横三本線を村印として大切に守っています。
その村印を隅絞り、幕、屋根の四隅の総才と呼ばれる金具・担き手のハッピ等に数多く取り入れています。
初代屋台は天保10年(1839年)に製作されました。その際に使われたと見られる型板が見つかり、播州屋台の型板では最も古いのではないかと言われています。
二代目屋台は大正11年(1922年)に製作され、約80年間大切に使われた後、現在は岡山県美作市下町(旧大原町)で活躍中です。
三代目屋台は二代目屋台の特徴を活かし、平成11年(1999年)に新調され、漆塗り・飾金具・狭間など4年の歳月をかけ完成した後、令和元年、錺金具の総メッキ・露盤の彩色・電飾のLED化と、新しく生まれ変わった屋台が、今、皆様の前で練られています。

屋根の幅6尺1寸、屋根紋は前後が龍、左右に三つ巴、幕は龍と鷲の退治物。屋根下の正面の狭間には、津市場の伝統行事であった『火揚げ』をデザインした彫り物で特徴を出しています。他三面は『戻り橋の鬼』、『宇治川の先陣争い』、『安宅の関』で二代目:中山・龍雲氏の作です。また、全体の調和と安定を図るため泥台と呼ばれる屋台の足の部分を二代目より若干広げています。
津市場の伝統である「ヨ~イサァジャ・ヨ~イサァジャ」と屋台をガブりながらの練りが特徴です。

総取締の“やー!”の一声でチョウサに入り、乗り子が打ち鳴らす太鼓に合わせて、担き手の若中・中老が一体となり、津市場屋台を差し上げる伝統の力技をどうぞご覧下さい。

happi_sakanoue 坂上 Sakanoue

坂上_平成30年

(漆屋根は平成30年秋季例祭の写真です。令和元年大改修後の写真は例祭後掲載予定)

坂がないのに「坂上」との地名がついたのは昔、この地の水が非常に良質で、魚吹八幡神社に供える酒はここで造られ、酒を献上したことから初めは「酒」に「上」と書いて「酒上(さかうえ)」と呼ばれていました。ところが県道の両側15間が坂上の地先で、宮の裏手に竹藪があったことからいつしか現在の「坂上(さかのうえ)」と呼ばれるようになったと伝えられています。

坂上の屋台は平成6年に新調、平成15年に改修された現在の屋台は、令和元年25年ぶりに改修。屋台棟、四本柱、泥台を建築工房ヨネダにて、正隅彫刻を前田木彫刻にて、錺金具を竹内錺金具店にて新調し、大改修が完成しました。

坂上カラーの赤色の水引幕には、坂上屋台の伝統を継承するため、大正12年に制作された屋台から継承される源平合戦の刺繍が施されています。

中学生が所属する日の出若衆に始まり、祭の運行を担う若中・青年団、それを知恵と経験で下支えする鯱若・坂栄会、屋台の維持・修繕を担う世話人会と、各種団体に所属する町民が一体となって担ぐ、坂上屋台の勇壮な練りをどうぞご覧ください!

 

勝原地区

happi_kumami 熊見 Kumami

kumami 

平成7年に播州白浜で製作され、東の迫力と重圧さを備えながらも、魚吹の伝統と心を継承した屋台です。
熊見屋台の屋根の上を飾る大きな露盤は、越中井波の南部氏による逸品で、朱雀・青龍・白虎・玄武の四神獣が彫りこまれています。
また、屋根・高欄に塗られている漆は、屋台には極めて珍しい輪島塗りが施され、屋根前後には熊見伝統の大きな金巴が誇らしげに輝いています。
北陸の厳しい気候に鍛えられた日本一の浅野極上太鼓を響き渡らせます。

happi_yoro 丁 Yoro

丁_平成30年平成30年_丁_御旅所 

当神社氏子の中で、最も遠く離れた北端に位置し、古代歴史文化遺産の宝庫としても、その名を知られている丁の地名。

平成28年に高欄回りを新調、改修し、平成30年、約70年ぶりに四本柱より上を新調しました。
屋台本体は、建築工房ヨネダ、正隅彫刻は、木彫髙場により新調された屋台は、水切り幅6尺3寸、井筒幅2尺9寸5分と先代同様の大きさ、形を復元新調しました。令和二年に露盤新調とうるし塗りを行い、完成します。

屋台の練り方の本領ですが、「棒わり」といって練り子を身長別にわけ全員が力を出しきれる様に配置し、チョーサに入るとき、左右の足の位置がきめられ、屋台を下げるとき必ず左手のひじの内側で受けるなどきびしく指導される。そしてある時は静止し、又、ある時は懸命に走る躍動ぶりは、まさに静と動とが、心地よいほどに結びつき、豊かな表現と勇壮ぶりが観客の目を引きつける魅力といえましょう。

happi_tai 田井 Tai

tai 

田井は魚吹八幡神社の東に位置し、農業一筋の部落でした。大正時代の記録ではわずか32戸しかなく、江戸時代はもっと少なかったともいわれています。しかし、田んぼは広く、30町歩を数え、1戸平均1町歩あったといい、かなり裕福な村だったようです。
また、旧室津街道を東から宮入りする屋台の華やかさの中にあって、大人も子供も祭りを好きにならずにはいられませんでした。
昭和31年、現在の屋台を新調し、擬宝珠にそうように金の鯱が跳ね、屋台の前後の紋は田井をもじって鯛が波に跳ね、陽光に輝く屋台は全体にスマートで近代的な屋台です。
担き棒は吉野杉の無節でたわみがよく、練り子に均等に力がかかるように工夫されています。これは、昔から少ない人数で屋台を練ってきた知恵の結晶です。

happi_miyada 宮田 Miyada

miyada 

現在の屋台は、平成5年に宮田自治会員の総力を結集し、製作された三代目屋台です。先代の屋台は、姫路市へ寄贈されて宮田の宝から姫路の宝となり、書写の里 美術工芸館にて保管・展示されています。
屋台本体の製作は、和久の大工棟梁、小林・秋男氏によるもので、彫刻は、魚吹八幡のご神体である神功皇后・応神天皇を前後に配した露盤や正隅等を大西・繁生氏が、旧屋台と同図柄を受け継いだ狭間を二代目中山・龍雲氏が、義経記で統一した蟇股や天蓋・井筒・脇棒受等を二代目小河・義保氏が手がけており、現在の播州の匠による技の競い合いとなっています。
屋台紋は宮田屋台で受け継がれている紋章で、播州にも数台しかない松に鷲”を前後に、巴を左右に配しています。
漆塗りは、砂川・弘征氏によるもので、高欄下には若狭塗りが施してあります。
また、宮田屋台伝統の亀甲模様に鳳凰をあしらった隅絞りが、屋台を隙のない姿に引き締めております。
福井荘の中心に位置し、かつて「大宮田」といわれた宮田町の心意気で、豪華絢爛、重厚かつ可憐なこの屋台をどうぞご覧ください。

大津・網干地区

happi_nishidoi 西土井 Nishidoi

nishidoi 

現在の屋台は平成12年に新調されました。
本体は天満の川村・治郎氏、露盤・狭間は先代屋台のものと同じ図柄を受け継ぎ、青山の井上・準司氏により完成されました。自慢の水引幕は「平清盛と安芸の宮島」と題されており、こちらも先代のものと同じ図柄を受け継いでいますが、人物の配置を少し直し、四方からその場面がよく見えるように仕上がっています。
また、昭和58年に隅絞から伊達綱に変え、ヨイヤサでがぶった時に屋台がより一層映えるようになりました。
西土井の特徴はまずその担き方です。魚吹八幡神社では唯一、東の流儀となっております。明治28年を最後に、約30年の空白期間があり、そして大正15年、先代の四代目屋台が新調された際、当時の世話人が飾磨より改めて担き方を習い、現在の担き方となりました。
何故、飾磨から習ったのかその理由は定かではありませんが、この担き方になって既に90年近くが経っており、今や西土井の伝統となっていると言っても過言ではありません。
次に、垣内村との関係です。大津の西土井村と網干の垣内村とはかなり距離が離れているにもかかわらず、遠い昔よりとても深い交流を続けています。これには様々な言い伝えがありますが、遠い昔から平成の今日まで変わらずに、屋台練り・檀尻曳きを共に助け合い、仲良く伝統を守っております。さらに、担き手の少ない西土井にとって垣内村は、勇気と力を与えてくれる、かけがえのない存在となっています。

長い空白の期間を乗り越え、今では祭り行事の一切を取仕切る「交友会」の名のもとに、総取締 指揮のもと、村人が一致団結して祭りを成功させるよう頑張っています。

happi_tenma 天満 Tenma

tenma 

江戸時代より百数十年の歴史をもつ天満の屋台は、数回の改修を重ねてまいりましたが、平成18年度に、天満氏子中より寄付を募り、大規模な修復を行いました。
屋根は昭和49年に製作された旧屋台を形取り、更に一回り大きくしたことと、担棒も平成13年に山出しされた京都北山杉の逸品を買い付け使用することで風格も一段と増しました。
屋台本体修復棟梁は有馬・豊彦氏、正角彫刻は新進気鋭彫刻師、網干区高田在住の前田・貴文氏によるものです。
錺金具は、屋台錺金具の美術的技術を播州一円に広めた下間・清兵衛氏の伝統技術を受け継ぎ、作品に立体感を持たせる「打ち出し技法」を編み出した、川村・悟司氏製作によるものです。
水引幕は、赤の羅紗地に魚吹八幡神社の御祭神である神功皇后、応神天皇、玉依比売命の図柄とすることで、魚吹八幡神社を常に崇める、かつての「1番屋台・天満」の心意気を表しています。
隅絞りについても、魚吹型屋台の古き良き伝統を受け継ぐと共に、天満独自の阿・吽の昇り龍、降り龍の図柄の刺繍物で、旧隅絞りを基本に一回り大きな龍頭を始め、あしらえ全体に工夫を凝らし、周りには金糸で雲を表現したことにより、迫力・豪華さを増すことができ、類まれな隅絞りが出来上がりました。
これらに使用した本金糸は、機械製本金糸が主流の中、最後となりました手織り本金糸を準備、使用するなどこだわりの逸品でもあります。
刺繍製作については、川村雅美氏が担当し、人物衣装を始め、龍のうろこに至る細部にまで新技法を採用、職人さんが一つ一つ製作したものを縫い付けるといった作業を繰り返し、他に例をみない大変豪華なものとなっております。
播州屋台のほとんどに姫路伝統漆工芸を広め手掛けた、姫路砂川漆工芸さんで、砂川・弘征氏、砂川・隆氏、砂川・明氏、岸本・純氏、4名の漆師名工が、延べ12ヶ月にも及ぶ漆工芸の粋を極めた傑作作品です。

みなさん、この「豪華絢爛、歴史ある天満屋台の華麗な練り」をとくとご覧ください。

happi_kibi 吉美 Kibi

kibi 

吉美屋台の特徴は、氏子中で唯一台、屋根垂木端が二段の伊達綱屋台で、飾磨屋台の様式となっています。昭和9年に購入し、高欄から泥台に至る部材総て黒檀材で出来ています。特に脇棒受けは、龍と唐獅子牡丹が、彫師小河義保によって力強く彫り込まれ、龍の目はガラス玉が埋め込まれた他に例を見ない逸品で御座います。
高欄には忠臣蔵四十七士の彫り物と、欄干には、梅の花と枝をあしらった金物が施されています。かつては梅の枝に金の鶯が四羽とまっていましたが、あまりの出来栄えに、何処かへ飛んで行ってしまったそうです。
水切金具には、五条大橋の弁慶と牛若丸が施され、総才端は名錺金具師木村円二郎が打ち出した金具に、二代目松本義廣が小口に彫刻を施した類例少ない逸品です。
四面の狭間は、「鶴岡八幡宮」が堤義法、「養老の滝」が二代目松本義廣、「布引の山桜の関」が津利義正、そして、「忠臣蔵の松の廊下」は三代目黒田正勝と、当時、四天王とよばれた彫刻師全てが腕を競って彫り上げた傑作であります。この様に、一人一面を彫る形態は極めて珍しく、工賃も通常の倍近くついたと言われています。
水引幕は、播州の匠である川村雅美・定弘親子の合作で吉美屋台の特徴である龍虎を基調に吉美の名の由来に合わせ松と井戸をモチーフにし、松は吉マークと合わせ三つ松と字菱の紋をあしらい、井戸は清流の源の如く蘇る事となりました。紐通しの部分には、十二支を配置し、刺繍は駒縫いから、一針毎に手間の掛かる返し縫い技法に変更し龍虎の躍動感を高め、特に虎の毛並みは、金色の色彩で光輝き、吉美屋台を一層際立たせる絢爛豪華な仕上がりとなりました。
誇り高き吉美屋台の重量感溢れるチョウサを、是非ご堪能下さい。

 

happi_hiramatsu 平松 Hiramatsu

hiramatsu 

平成13年に新調されたこの屋台は、計画に5年、製作に3年をかけ、平成16年に完成しました。
この屋台最大の特徴は、上品な屋根勾配と木組の精緻さ、そして何より均整のとれた美しい全体像です。今は亡き大工棟梁、小林・秋男氏が「津の宮屋台」の美しさを追求した渾身の作となりました。
また、彫刻は岸和田、岸田・恭司氏の手によるもので、他の屋台では見られない迫力と躍動感あふれる逸品です。
その屋台本体と彫刻の持ち味を活かし、見事に施された漆塗りと彩色は、姫路砂川漆工芸、砂川・弘征氏、隆氏親子が長年の伝統に新しい技法を取り入れ、工夫に工夫を重ねて完成しました。特に屋根の露盤と呼ばれる彫り物は、これまでにない木目を活かした彩色がされており、仲良く戯れる親子獅子の姿は、町民の家庭円満を願う平松自慢のひとつとなっています。

もう一つの自慢は、水引幕です。これは先代屋台と同じ「富士の巻き狩」といわれる図柄で、川村刺繍、川村・雅美氏の案により、武者の鎧金具に至るまで刺繍で表現されています。また、四隅の隅絞りには町名にちなんだ松を用い、これからの時代を担う若い力の象徴として「若松紋」を、また、町の繁栄を願い「栄え松紋」が豪華な金襴で織り上げられています。
そして、漆黒の屋根をきらびやかに飾る金物は、これも先代屋台の特徴であった「松に鷹」の文様を受け継ぎ、「平松の屋台は鷹の屋台」との言い伝えを守っています。「近年、技巧よりも派手さを求められる金物の流れに捉われず、飾り金具本来の美しさを求めたい」という平松の想いに川村商店、川村・悟司氏は見事に応えてくれました。

今「平」のひと文字を身にまとい、町の青年組織である友志会を中心に平松の若い衆がこの素晴らしい屋台を練り上げています。威風堂々とした平松の練りを存分にご覧下さい。

happi_ooeshima 大江島 Ooeshima

大江島_平成30年 

大正15年に新調、次いで昭和51年に改修されたこの屋台は、平成23年に屋根を新調し、平成25年、漆塗りが完了しました。
 
その前後には大丸紋をあしらい、トレードマークであった金色の伊達綱から鳳凰柄の隅絞りに一新しました。
 
平成27年、担棒を新調しました。
この屋台は私たち大江島の宝であり、それを担ぎ上げこの魚吹八幡神社に宮入り出来ることが最大の誇りで、今年も江友会を中心に、祭りを盛り上げようと、毎日準備を重ね、結束力を高めてきました。
 

happi_nagamatsu 長松 Nagamatsu

nagamatsu 

長松屋台は現在で四代目の屋台となり屋台本体を宮本住建、彫刻は越中井波の南部白雲氏、刺繍織物は川村刺繍、錺金物は竹内錺金具店、隅絞りの生地を京都の龍村美術織物、漆塗り及び彩色を塗り師・山口哲治氏、それぞれの素晴らしい技術が集結しております。

この四代目屋台は、水引幕に四神獣を置き、屋根の上の露盤には神獣の長の黄龍と、『禹ついに大龍黄河を治む』と言う、他にはない長松オリジナルの題材を用いたり、狭間彫刻には先代屋台の題材を引き継ぎながらも、播州では数少ない欅材を使う等、材質・大きさ・かたち・担ぎ易さなど細部に渡り、拘りと工夫を凝らした町民全体が誇りと思える屋台です。

令和元年の節目の年に、飾り金具の再メッキをおこない、再び輝きを取り戻した飾り金具に3300個ものLED電球を配し夜にでも光輝く屋台と勢いのあるチョーサをお楽しみください。

素晴らしい屋台と勢いのあるチョーサをお楽しみください。